Vita-min(ビタミン)
題字:クレレナ
看板ねこさん

今宵もあのひとに会いに、店ののれんをくぐれば、「いらっしゃいませ」。
温かくて粋で凛々しい、いつもの笑顔で迎えてくれる、そんな素敵な女性たちが切り盛りする「おんなごはん」の物語を綴っていきたいと思います。

「おんなごはん」第4回 
魚は大分、野菜は東北・大阪から。
素材の声にみみをすませたくなる引き算の料理

鍋を見つめる背中が語っているようで。

 つい背中に魅入ってしまった。
 男は背中で語るというけれど、私が釘づけになったのは女性の話。料理人である。

 六本木交差点のきらびやかな賑わいを背に、溜池方向のゆるやかな坂を下って数分も歩くと、つい先ほどまでの喧噪はかき消える。細い路地を入ったところに、その店はある。
「さかなのさけ」
 回文めいた名前は、「酒の肴」をひっくり返して「肴の酒」。肴は「魚」ともかけている。その名のとおり、「さかなのさけ」は、西(大分と大阪)の白身魚と、各地の小さな酒蔵が醸す日本酒を中心に、そのときどきの旬を味わう店だ。

さかなのさけ
東京・六本木
田中悦子さん
今年7月に25周年を迎える「さかなのさけ」のふたり。

今年7月に25周年を迎える「さかなのさけ」の田中秀嗣さんと悦子さん


 12席のカウンターのみ。味も分別もわきまえた大人がなごやかに楽しんでいる。私もそんな空気になじみたいと、ほんの少し背伸びをして楚々と席に腰を下ろす。
 カウンターの向かいは、すぐ厨房。手を伸ばせば握手できるほどの距離で、ジーン・セバーグのようなベリーベリーショートの小柄な女性がきびきびと立ち働いている。よく手入れのされた柳包丁で白身の魚を薄造りにし、勢いよく湯気の上がる大きな蒸し器を操る。
「はい、コチの薄造りできましたぁ」
「真鯛と春雨のベトナム風蒸し物、あがりました〜」
 まるで歌うように、嬉々とした表情で次々と料理を仕上げていく。迷いのない軽快な動きは、繁盛店の忙しさをさばいてきた体に染み込んだものに違いない。

 見事だなぁ。
 爽やかな心持ちで眺めていると、彼女の動きがぴたりと止まった。こちらに背を向け、鍋を一心に見つめている。その背中。大事な一瞬を逃すまいと一点集中している様子が伝わってきた。

 漲るものが背中からびーんと溢れ出ている。

 ただ者じゃない背中の持ち主は、えっちゃんこと田中悦子さん。「わたくし、当年とって55歳」と利発な少年のような瞳で言ってのける東京・江戸川区の生まれだ。
 料理を仕切るのがえっちゃんなら、酒を仕切るのはご主人の秀嗣(ひでつぐ)さん(64歳)。えっちゃんが「おいちゃん」と呼ぶご主人は、「おおきに。ようお越しくださいました」「それやったら、こっちの酒が合いますわ」と、おっとりとした関西弁が耳に心地よい大阪は中央区の出身である。
 ちゃきちゃき江戸っ子えっちゃんと、泰然とした雰囲気漂う秀嗣さん。
 ふたりとも旅が好きで、出会いは諏訪湖のユースホステルとか。結婚してからも夫婦で東南アジアやインド、シチリアへもバックパックを背負ってまわった。

 そんなふたりがつくる店だからだろうか。
 外観こそ和モダンだが、店内には風通しのいい空気が流れていて、不思議と異国を感じる瞬間がある。和食のほかに、ベトナムの魚醤を使ったサラダや蒸し物、香辛料たっぷりの魚カレーなどがメニューに並ぶこともあるからだけでなく、ふたりの旅の記憶が気配として漂っているのかもしれない。
 旅に誘われるように、ふいに訪れたくなる場所をみな、一つや二つ持っているだろう。私にとって、「さかなのさけ」はそういう店である。