ふいに自分の芯をつかみ揺さぶった料理人とは…
この日、ほかにいくつかの皿をとり、ワインをボトルで飲み、最後にパスタのなかでも気になっていた「ミートソース」をいただいた。
そして、みたび驚くことに。「ミートソースは赤いもの」という勝手な思い込みを、見事に覆された。ディ・チェコ12番の太い麺に、淡茶色をしたひき肉のラグーが冠雪のようにふうわりとのっている。皿からはみ出さんばかりのボリュームだ。
ソフトボール部に所属していた高校のとき、部活のあとに死にそうな空腹をこらえて駆け込んだスパゲッティ屋さんがあった。後輩のお父さんがつくってくれるそのスパゲッティは、黙っていてもドドンと大盛りで、みんな我を忘れて食べた。
美樹さんのミートソースを前にした途端、私はあの頃と同じ気持ちになった。それはもう、となりに友人がいることも忘れて、口のなかで弾けるようなイキイキとした麺の食感と、装飾を排除した肉そのもののうま味を陶然と味わった。
あの3品。アンチョビバター、野生ルッコラのサラダ、ミートソース。贅を尽くした美食でもない。かといって、家庭的な料理ともちがう。調理法はシンプルかもしれないが、どうやっても真似のできない技術、素材を選別する厳しい目がある。
「このミートソース、家で真似してつくったんですが、ぜんぜん違う。どうやったらこの味になるんですか」
一人でおいしそうにパスタを食べていた女性が言っていたけれど、ほんとうにそうだ。私もミートソースに挑戦したが、全体的に奥行きのないぺらぺらな味になってしまった。
mescitaのそれは、麺自体に味がしっかりのっかっているし、口のなかで跳ねるような歯ごたえがある。なんといっても、あのひき肉と麺のからみぐあい。噛むほどに、肉のうま味が前面に出て、深い余韻を残す。
初訪問の興奮は、翌日も、そのまた翌日も残響のように消えなかった。
どこか根源的な部分をぎゅっとつかまれた感じ。食事をして、こんな感情に包まれたのは初めてだ。おかしなことに、嫉妬すら生まれている。
いったい、鈴木美樹さんという料理人は、どんなひとなのだろう。