ふたりの船がたどりついた「パンと酒の店」
朋子さんは横浜生まれ。高校生のとき移住した和歌山で漁師の叔父さんの船に乗せてもらったことがきっかけで、海の仕事に憧れた。静岡県の国立清水海上技術短期大学校に進学。卒業後は水上バスの会社に入り、船員になった。ここで朋子さんの上司だったのが相方の知津さんなのだが、その話はまたのちほど。
しかし、1年たたないうちに、「機械が苦手な自分には向いていない」と辞めてしまう。次を考えていたときに、ふっと頭に浮かんだのが「パン屋」だった。
それからは、怒濤のパン修業時代に突入。横浜のフランス人が営む個人店で基礎を学び→戸越銀座で天然酵母をつかった技術を覚え→静岡の観光牧場で新鮮な乳製品での菓子パンやデザートを習得→京都でバイトをしながらドイツ語学習に励み→ドイツへ1年パン武者修行の旅→帰国後、全国的にも評判の京都ル・プチメックで日本人にも合うハード系をコンプリート。
さまざまなタイプのパンを学んできたが、最終的には自分が酒好きゆえ、お酒に合うパンがつくりたい、と落ち着く。ドイツ語講座で知り合ったワイン業界の方に「パンとワインとチーズがあれば店はできる」と言われたことも、独立に向けて大いに背中を押してくれた。
知津さんの経歴はさらに豪快。
石川生まれ。「とにかく早く家を出たい」と、自立願望の強い少女が選んだのは、船乗りの道。清水海員学校(清水海上技術短期大学校の前身)を卒業すると、セイルトレーニングシップや海底資源調査船の機関員として働いたのち、2000年に開催された国際帆船レースに出場。「海外の帆船がどうしても見たかったんですよね」って男前! イギリスの帆船に乗り込み、スペインからバミューダ諸島を1カ月航海。下船した島で求人を見つけ、ヨットで住み込みバイト。そんな世界の海を股にかける姿は、海賊じゃないけど、ついジャック・スパロウを彷彿としてしまう。
帰国し、朋子さんと出会うきっかけとなった水上バスの会社に入社。2年ほど勤め、朋子さんの先輩としてともに働いた。しかし、観光事業が尻つぼみのなか将来性はないと見極め、「友人から勧められたことや、母親が看護師だったこともあって」看護学校に入学。4年後、横浜の病院に勤務することに。朋子さんの船乗り→パン職人にも驚いたけど、知津さんの船乗り→看護師も型破りだ。
そんななか、2009年にドイツ帰りの朋子さんと久しぶりに再会し、「いっしょに店をやろう」と意気投合。すごい飛躍! と驚いたが、じつはもともと、ふたりとも起業願望があり、朋子さんは「30歳までに店をもつ」と心に決めていたという。知津さんは「わたし酒好きだし、飲食店のバイトもけっこうやっていたから、建部のパンがあればいけるんじゃんって思ったんですよね」と、鬼が金棒を得たような勝ち気な表情である。
これまで別々の船でさまざまな海を航海してきたふたりが、ひとつの船に乗ろうと決めた瞬間だった。