おいしいごはんって人を元気にするから
「最初は佐和さんのつくるお料理が好きで、客として通っていたんですが、あるときに店を手伝ってもらえないかといわれて。当時、私は看護師でしたが、1カ月に1回ぐらいのバイトだったらいいよと返事をしたんです。でも冗談半分で聞いていたら、約束した日の前日に確認の電話があって、あ、本気なんだと(笑)。飲食の仕事をするのに抵抗はなかったけど、ふだん看護師の仕事に慣れきっていたから、最初は健康な人に何を話していいかわからなかった」と笑う。
「でも朝子ちゃんは度胸がすわっていて、お客さんが目の前にいるのに、カウンターの下で見えないように本を読んだりしてたんですよ。『タバコ買ってきて』と頼まれても、『なんで私が行かなくちゃいけないんですか』とか言って、また本を読み始めたりして。店の人間がお客さまのタバコを買いに行くのは飲食業の慣例みたいなもの。でも彼女は、慣例を打ち破っておかしいことにおかしいと言える。すごいなぁって思った」と佐和さん。
そんな朝子さんの媚びない接客がいいと気に入る客も増えてきて、バイトに入る回数も1カ月に1度から、2週間に1度になり、週に2度になり⋯⋯。本業の看護師をやめてからは営業日毎日、[やくみや]を手伝うようになる。飲食業は水もの。安定した収入が確保できる看護師をやめるのは勇気がいったのではないだろうか。
「そのころ、お客さんが着実に増えていたし、なじみの常連さんもしっかりついてきて、満席でお断りすることがたびたびあったんです。わたしは佐和さんの料理を一人でも多くのひとに食べてもらいたいと思っていた。ゴールデン街の狭くて十分な設備のないところでずっと続けるより、もう少しちゃんとした店舗をかまえるべきだという思いが強かった。看護師としての将来よりもいまやりたいこと、できることをしたい。だから、やめるのに全然躊躇はなかった」。そう朝子さんは振り返る。さらにこう言葉を継ぐ。
「これまで病気を抱えた人と毎日向き合い、命とかかわる仕事をしていたから、すぐその場で『ごちそうさま』とか『ありがとう』と言ってもらえるってすごい仕事だなって感動しました。おいしいものを食べるとひとは元気になって、『また明日がんばれるよ!』と言って帰っていくでしょ。それがいいなあと。ナースの仕事は、ひとを支える縁の下の力もちだけど、料理屋さんは、そのさらに下を支える仕事なのかなあって思う。はたらく人の元気をつくる仕事ですよね」