「はじめの一歩」山本けんぞう はじめの一歩を踏み出すほかに、ぼくたちに何ができるだろう──

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第1話 樹と穴 4
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 トーンとソピアプに、小さな幸せが訪れたかのように見えた。

 結婚して、娘のニラム、息子のタノムが産まれた。 

 けれど、トーンはなかなか定職に就けなかった。
 結局、このままでは物乞いをするしかないというまでに、貧窮した。

 そんな時、ソピアプの親戚の関係で、地雷原に土地を持てる話がもちあがった。
 トーンとソピアプは、その話に乗ることに決めた。

 「新天地で、必ず成功しよう! 地雷被害者でも成功できるんだって、世間に見せてやろう。」
 トーンは、ソピアプに言った。

 ふたりは、子どもたちをプノンペンの親戚に預け、地雷原に移り住んだ。
 自分たちの手で地雷を除去し、少しずつ土地を開墾していった。※1


 対人地雷を17個、見つけたという。
 数年後には、立派なトウモロコシ畑ができた。
 ようやく、生活も上向きになりだした。
 子どもたちへの仕送りも増えた。

 トーンは、身寄りのない少女と少年を引き取って、自分の家族のように養った。
 その子たちも、すくすくと育っていった。
「やっと幸せを掴んだ。」
 そう、トーンは思った。



 ある日、トーンは、小屋を建て増しするために、近くの山で木を伐採し、
 トラクターを借りて、木材を運んだ。
 ちょうど、小屋のすぐ裏に戻って来たところだった。
 地中深くに埋められた対戦車地雷を、トラクターが踏んでしまった。
 トラクターは、木っ端みじんになった。
 運転していたトーンも吹き飛ばされ、重傷を負った。
 積んであった木材の上に、養っていた少年が乗っていた。
 少年は14歳だった。
 少年は、体がばらばらになって、即死した。

 それまで、トーンは対人地雷を自分で除去してきた。
 けれども、地中深くに埋められた対戦車地雷は、見つけられない。
 住んでいる小屋のすぐ裏に、そんな地雷が埋まっているとは、思いもよらない事だった。
 少年の死を目の当たりにして、トーンは血だらけになったまま、這いつくばって、泣いた。
 生まれて初めてと思うほど、大声で泣いたという。

 トーンは、それまで左足の膝から下をなくしていた。
 それが、膝から上も全て失う結果となった。
 それでも、命に別状がなかっただけ、幸運だったとされている。
 トーンもソピアプも、最愛の少年の死に衝撃を受けた。
 ふたりとも、ノイローゼの状態に陥った。
 土を踏むのが恐ろしくなって、小屋から出られなくなった。
「何もかも、終わった。」
 そう、ふたりは思った。
 ふたりは、心中を考えるようになった……。



 ふたりの略歴を簡単に書こうと思ったら、随分、長くなってしまった。
 けれど、やっぱりこれだけは書いておかないと、
 ふたりが何を背負って地雷原に立っているか、それが実感できないだろう。

 ぼくたちが初めてふたりと会ったのは、トラクターの事故が起きた半年後だった。
 恐怖が少しばかり薄まり、ようやく、地面に立つことができるようになった直後だった。
 ふたりが暗い目をしていたのも、当然だろう。
 もっとも、その時の出会いでは、ぼくたちはまだ、
 ふたりの長い人生の物語を、ほとんど知らずに終わった。
 だから、トーンがぼくたちを出迎えて、
「妻と話し合いました。妻は、機織りをやりたがっています。このプロジェクトに、生きる望みを託してみようと思います。」
 と、言った時、それがどれほど深い意味合いを持った言葉であったか、
 その時のぼくたちには、ちゃんとわかっていなかった。



「来てください。見せたいものがあります。」
 トーンは、ぼくたちを小屋の裏に案内した。
 荒れ野が、遠くの山並みまで広がっていた。
 小屋の近くは、トウモロコシ畑になっていた。
「あれを見てください。」
 トーンが、指差した。
 大きな穴があった。
 直径5メートル、深さ3メートルぐらいだろうか。
 ぼくたちは、その前に立った。
 黒々と、土がむき出しになっていた。
 底に、雨水が貯まっていた。
 対戦車地雷の爆発した跡だった。
 トーンは、穴を見つめて、黙り込んだ。
 その目に、恐怖の色が浮かび出した。
 それが、ありありとわかった……。
 不自然なほど淡々とした口調で、(そう、まるで少しでも感情を表に出そうものなら、とめどもなく吹き出してしまうのが怖いかのように、無表情に……)
 トーンは、事故のいきさつを話して聞かせた。

 対戦車地雷は、だいたい直径50センチほどの円盤の形をしている。
 それが、二段重ねになって、地下およそ2メートルに埋められていたという。
 これは、ポル・ポト派ゲリラがよく使った手口だ。
 深くに埋まっているので、地上で人間程度の重さが通っても、反応しない。
 地雷探知機でも、ひっかからない。
 戦車ほどの重さが通ると、作動する。
 二段重ねだから、その爆破力は猛烈だ。
 トラクターだったら、跡形もなくなるだろう。※2

「もう、生きて行けないと、思った……。わかりますか? 何もかもが恐ろしくなって……」
 トーンは、口ごもった。
 声が、かすかに震えていた。
「自分は、これで済んだから、まだいい。彼は、お腹のところで、まっぷたつに体がちぎれて……」
 トーンは、喋るのを止めた。
 


 気がつくと、西の空が、淡いルビー色に染まっていた。
 山の稜線が、銀色に輝き始めていた。
 振り返ると、やけに、か細い月が、ぼんやり浮かんでいた。
 しばらくすれば、急に夕闇が落ちてくるだろう。
 ぼくたちに事故の話をして、トーンは、すっかり疲弊しているようだった。
 小屋の軒下で、ソピアプが心配そうに見ていた。
 ぼくたちは、とりあえず引き上げることにした。
 トーンが、再び言った。
「生きる最後の望みを、この活動に賭けてみたい。後ろを忘れ、前に全身を向けて、目標に向かいたい。地雷被害者でも、成功できるんだってことを、みんなに示したい……。」
 トーンの目の奥には、依然、恐怖の色がちらついていた。
 けれども、それにもまして、不屈の意志の光が、不思議なほど透明にきらめいていた。

 この日、ぼくたちの地雷原での活動が、本格的に始動した。

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