第1話 樹と穴 4
トーンとソピアプに、小さな幸せが訪れたかのように見えた。
結婚して、娘のニラム、息子のタノムが産まれた。
けれど、トーンはなかなか定職に就けなかった。
結局、このままでは物乞いをするしかないというまでに、貧窮した。
そんな時、ソピアプの親戚の関係で、地雷原に土地を持てる話がもちあがった。
トーンとソピアプは、その話に乗ることに決めた。
「新天地で、必ず成功しよう! 地雷被害者でも成功できるんだって、世間に見せてやろう。」
トーンは、ソピアプに言った。
ふたりは、子どもたちをプノンペンの親戚に預け、地雷原に移り住んだ。
自分たちの手で地雷を除去し、少しずつ土地を開墾していった。※1
対人地雷を17個、見つけたという。
数年後には、立派なトウモロコシ畑ができた。
ようやく、生活も上向きになりだした。
子どもたちへの仕送りも増えた。
トーンは、身寄りのない少女と少年を引き取って、自分の家族のように養った。
その子たちも、すくすくと育っていった。
「やっと幸せを掴んだ。」
そう、トーンは思った。
*
ある日、トーンは、小屋を建て増しするために、近くの山で木を伐採し、
トラクターを借りて、木材を運んだ。
ちょうど、小屋のすぐ裏に戻って来たところだった。
地中深くに埋められた対戦車地雷を、トラクターが踏んでしまった。
トラクターは、木っ端みじんになった。
運転していたトーンも吹き飛ばされ、重傷を負った。
積んであった木材の上に、養っていた少年が乗っていた。
少年は14歳だった。
少年は、体がばらばらになって、即死した。
それまで、トーンは対人地雷を自分で除去してきた。
けれども、地中深くに埋められた対戦車地雷は、見つけられない。
住んでいる小屋のすぐ裏に、そんな地雷が埋まっているとは、思いもよらない事だった。
少年の死を目の当たりにして、トーンは血だらけになったまま、這いつくばって、泣いた。
生まれて初めてと思うほど、大声で泣いたという。
トーンは、それまで左足の膝から下をなくしていた。
それが、膝から上も全て失う結果となった。
それでも、命に別状がなかっただけ、幸運だったとされている。
トーンもソピアプも、最愛の少年の死に衝撃を受けた。
ふたりとも、ノイローゼの状態に陥った。
土を踏むのが恐ろしくなって、小屋から出られなくなった。
「何もかも、終わった。」
そう、ふたりは思った。
ふたりは、心中を考えるようになった……。
*
ふたりの略歴を簡単に書こうと思ったら、随分、長くなってしまった。
けれど、やっぱりこれだけは書いておかないと、
ふたりが何を背負って地雷原に立っているか、それが実感できないだろう。
ぼくたちが初めてふたりと会ったのは、トラクターの事故が起きた半年後だった。
恐怖が少しばかり薄まり、ようやく、地面に立つことができるようになった直後だった。
ふたりが暗い目をしていたのも、当然だろう。
もっとも、その時の出会いでは、ぼくたちはまだ、
ふたりの長い人生の物語を、ほとんど知らずに終わった。
だから、トーンがぼくたちを出迎えて、
「妻と話し合いました。妻は、機織りをやりたがっています。このプロジェクトに、生きる望みを託してみようと思います。」
と、言った時、それがどれほど深い意味合いを持った言葉であったか、
その時のぼくたちには、ちゃんとわかっていなかった。
*
「来てください。見せたいものがあります。」
トーンは、ぼくたちを小屋の裏に案内した。
荒れ野が、遠くの山並みまで広がっていた。
小屋の近くは、トウモロコシ畑になっていた。
「あれを見てください。」
トーンが、指差した。
大きな穴があった。
直径5メートル、深さ3メートルぐらいだろうか。
ぼくたちは、その前に立った。
黒々と、土がむき出しになっていた。
底に、雨水が貯まっていた。
対戦車地雷の爆発した跡だった。
トーンは、穴を見つめて、黙り込んだ。
その目に、恐怖の色が浮かび出した。
それが、ありありとわかった……。
不自然なほど淡々とした口調で、(そう、まるで少しでも感情を表に出そうものなら、とめどもなく吹き出してしまうのが怖いかのように、無表情に……)
トーンは、事故のいきさつを話して聞かせた。
対戦車地雷は、だいたい直径50センチほどの円盤の形をしている。
それが、二段重ねになって、地下およそ2メートルに埋められていたという。
これは、ポル・ポト派ゲリラがよく使った手口だ。
深くに埋まっているので、地上で人間程度の重さが通っても、反応しない。
地雷探知機でも、ひっかからない。
戦車ほどの重さが通ると、作動する。
二段重ねだから、その爆破力は猛烈だ。
トラクターだったら、跡形もなくなるだろう。※2
「もう、生きて行けないと、思った……。わかりますか? 何もかもが恐ろしくなって……」
トーンは、口ごもった。
声が、かすかに震えていた。
「自分は、これで済んだから、まだいい。彼は、お腹のところで、まっぷたつに体がちぎれて……」
トーンは、喋るのを止めた。
*
気がつくと、西の空が、淡いルビー色に染まっていた。
山の稜線が、銀色に輝き始めていた。
振り返ると、やけに、か細い月が、ぼんやり浮かんでいた。
しばらくすれば、急に夕闇が落ちてくるだろう。
ぼくたちに事故の話をして、トーンは、すっかり疲弊しているようだった。
小屋の軒下で、ソピアプが心配そうに見ていた。
ぼくたちは、とりあえず引き上げることにした。
トーンが、再び言った。
「生きる最後の望みを、この活動に賭けてみたい。後ろを忘れ、前に全身を向けて、目標に向かいたい。地雷被害者でも、成功できるんだってことを、みんなに示したい……。」
トーンの目の奥には、依然、恐怖の色がちらついていた。
けれども、それにもまして、不屈の意志の光が、不思議なほど透明にきらめいていた。
この日、ぼくたちの地雷原での活動が、本格的に始動した。