「はじめの一歩」山本けんぞう はじめの一歩を踏み出すほかに、ぼくたちに何ができるだろう──

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第1話 樹と穴 3
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 ソピアプは、今年33歳になる。
 それは、確かだろう。
 トーンのように、答えるたびに数字が変わることもない。
 それに、彼女の生まれた年は、はっきりしている。
 ポル・ポト政権が敗退した1979年だ。
 当時、両親は、バッタンバン州に強制移住させられていた。
 そこで、ソピアプは生まれた。
 生まれてすぐに政権が崩壊し、家族は故郷のプンペン近郊のコーダエ村に戻った。
 しばらくして、父は政府軍兵士になった。※1

 ソピアプの父は、タイ国境沿いの前線に送り込まれた。
 そこで、ポル・ポト派ゲリラと戦った。
 二年ほどして、父からの仕送りが途絶えた。
 父は、軍を脱走したという。
 それっきり、行方がわからなくなった。
 残された家族の生活は、どん底に陥った。
 ソピアプは、いつも空腹だった。
 空っぽの鍋を見ては、ソピアプと弟は、よく泣きじゃくったという。
 数年が経ち、もう、どうにも生活が続かなくなった。 
 ある日、父のかつての同僚から、情報が入った。
 父は、軍を抜けて、国境を超え、タイ側の難民キャンプで暮らしているという。

 ソピアプは、弟を連れて、父に会いに行く決心をする。



 ベトナムの影響下にあった当時のカンボジアは、かなりばりばりな共産主義国家だった。
 そのうえ内戦状態のなか、戦時体制にあったから、人々には、移動の自由が、事実上、なかった。
 ソピアプと弟は、人目を避けて、こっそり旅を続けた。
 集落をなるべく避けて、山野に野宿しながら、丸4日間、歩いた。
 タイとの国境の州、バッタンバンで、父の同僚だった兵士と落ち合った。
 その兵士の案内で、ジャングルに入った。
 鬱蒼と茂った密林の中を、一昼夜歩いた。
 薮をかきわけて、泥の川を渡った。
 もうすぐ、国境だった。
 特に地雷の多い地帯を通り抜けなければならなかった。
 兵士は、言った。
「自分の歩いた跡を、歩くように。決して、そこから外れないように。」
 ソピアプは、兵士のうしろを歩いた。
 そのうしろを、弟が歩いた。
 薄暗いなかに、わずかな木漏れ日が、地面を照らしていた。
 それを、よく覚えているという。
 地面は、木の下草や、青いままの落ち葉で覆われていた。
 前の兵士の歩いた跡に目を凝らしながら、おそるおそる歩いた。
 実際に足跡が残るわけではないから、その跡のとおりに歩くのは、容易ではなかった。
 ふと、後ろを歩いている弟が心配になった。
 弟を、自分の視野に入れたいと思った。
 振り向いて、弟に、前に行くようにと、言った。
 そして、弟を通すため、兵士の歩いた跡から、一歩、外れた。
 そこで、地雷を踏んだ。
「たった一歩のことだった。」
 と、ソピアプは言う。
 くぐもった爆発音がした。
 それは、記憶にあるという。
 その他のことは、ほとんど覚えていないという。
 痛みも、覚えていないという。
 でも、意識は、はっきりしていたという。
 ソピアプは、兵士に抱えられて国境を超え、難民キャンプにある救急施設に運ばれた。
 ソピアプは、右足を失った。
 11歳の時だった。



 施設で手当を受けている時、父がソピアプを見舞いに現れた。
 ようやく、ソピアプは父と再会した。
 そこで、ソピアプは知った。
 父には、既に別の家族があったのだ。

 ソピアプと弟は、父の新しい家族に引き取られ、そのまま難民キャンプに残った。
 決して、居心地のいい環境ではなかった。
 でも、ともかくも、大好きな父と一緒に暮らせたのは、ソピアプにとっては、つかの間の幸せだったという。
 たとえ、足を失っても……。

 しかし、その幸せも、長くは続かなかった。
 1991年、カンボジア和平合意が調印され、それを受けて難民キャンプは閉鎖されることとなった。
 難民たちは、カンボジアに戻らなければならなくなった。

 もし……
 もし、父がキャンプにいることを、もっと後に知ったら、どうなっていただろう? 
 ソピアプの話では、彼女たちが父に会いにキャンプに向かったのは、1990年のことだ。
 もし、1991年以降に知ったとしたら、その時点で、父はカンボジアに戻ることが決まっていただろうし、あるいは、既に戻っていたかもしれない。
 ソピアプが、わざわざキャンプに行く事にならなかったかもしれない。
 地雷を踏むことも……。
 つい、そんなことを考えてしまう。
 やはり、「運が悪かった」と言うしかないのだろうか……?

 1992年、ソピアプは弟を連れて、キャンプを後にした。
 カンボジアに入ってから、父と別れた。 
 松葉杖をついて、コーダエの村に戻った。
 父を追う少女の旅は、深い喪失の旅に終わった。



 村に戻ると、母は別の男性と一緒になっていた。
 ソピアプにとって、それまで以上に辛い生活が待っていた。
 村の人たちもみんな、彼女に冷たかったという。
 片足のない自分は、もう誰からも必要とされていないんだ……。
 そう、思い知ったという。
 このままでは生きていけないと、彼女はひしひしと感じた。
 必死になって、機織りを学んだ。※2

 他の女の子たちが、お洒落をして遊んでいるのを見ると、『なんで、自分だけ、お洒落もできずに、こんな惨めな生活をしなければならないんだろう?』と、悔しくて泣いた。
 けれど、その度に、心のなかで誓った。
『今はお洒落ができないけれど、きっと、将来、この村で一番お洒落な服を、自分で作ってやろう!』

 努力の甲斐あって、ソピアプはコンクールに合格して、プノンペンの障害者研修センターで、縫製を学べることになった。
 ソピアプは、そこでトーンと知り合った。
 トーンは、センターで、英語やコンピューターを学んでいた。
 しばらくして、ふたりは結婚を考えるようになった。
 地雷被害者同士の結婚なんて、うまく行くはずがない……。
 周囲の人たちは、みな、ふたりの結婚に反対した。
 それを押し切って、ふたりは、結婚した。

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