第1話 樹と穴 2
トーンは、兵士だった。
時々、少年のようにデリケートな笑顔を見せる。
時々、地獄を見て来たような孤独な目をする。
寡黙で、自分の事を多く語らない。
妻のソピアプを、大変に愛している。
それは言わなくても、誰にでも、わかる。
*
トーンとソピアプの歩んだ人生を、かいつまんで記すのは、難しい。
それは、カンボジアの辿った過酷な歴史と、ぴったりオーバーラップする。
トーンは、今年、47歳になる。
(はずだ。歳を尋ねると、いつも違う答えが返ってくる。一度、身分証を見せてもらったら、西暦で1965年生まれになっていた。一応、確かなのだろう。)
10歳の時に、ポル・ポト時代を迎えた。
家族は、プノンペンからコンポン・トム州の農村に強制移住させられた。※1
トーンも飢えに苦しみ、生死のはざまを彷徨った。
少年グループに入れられ、一日中、ダムや水路建設などの重労働を強いられた。※2
お粥、というよりも米粒の入った白湯を、一日に一回食べることができた。
飢えと過労で、まわりの者が続々と死んでいった。
「なぜ、生きることはこんなに苦しいのだろう? みんなと同じように死んだほうが、よっぽど楽じゃないか?」
そう、思い続けた。
その問いは、ずっと彼の心の中に、澱のように残った……。
*
1979年、ポル・ポト政権が、ベトナムの後押しを受けたヘンサムリン政権によって倒された。
トーンは、両親とともに生きてプノンペンに戻ることができた。
15歳だった。
両親は、これといった職にありつけなかった。
明日の食い扶持も定かではない日々だった。
18歳になって、トーンは、ヘンサムリン政権の政府軍兵士となった。※3
トーンは、それから10年間、前線を転々とし、ポル・ポト派ゲリラと戦った。
最後には、激戦地の一つだったコンポンスプー州の山中に送り込まれた。
そこで、地雷を踏んだ。
日頃、兵士たちが平然と行き来していた場所だった。
そこに、たまたま地雷があったという。
まるで、その日のトーンのために、見えない誰かが仕組んだかのように……。
トーンは左足を失った。
28歳だったという。
1992年のことだ。
「全く、運が悪かった。でも、とりあえず生きているんだから、それでいい。その時は、そう思った。」
トーンは、言う。
この年、国連による和平プロセスが始まり、カンボジアは和平に向けて大きく動き出していた。
※4
しかし、前線にいたトーンは、そうした和平の動きをよく知らなかったという。
除隊されて、トーンは、プノンペンのリハビリセンターに通った。
そこではじめて、和平を知った。
『何のために、自分は前線で地雷を踏まなければならなかったのか?』
トーンは、この世の理不尽を感じた。
その怒りを、誰にぶつければいいのかも、わからなかった。
「結局、運が悪かったんだ……」
そう、自分に言い聞かせるしかなかった。
そんな鬱々とした日々のなか、トーンは、同じ障害者研修センターで、ソピアプと出会った。