「はじめの一歩」山本けんぞう はじめの一歩を踏み出すほかに、ぼくたちに何ができるだろう──

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第1話 樹と穴 2
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 トーンは、兵士だった。
 時々、少年のようにデリケートな笑顔を見せる。
 時々、地獄を見て来たような孤独な目をする。
 寡黙で、自分の事を多く語らない。
 妻のソピアプを、大変に愛している。
 それは言わなくても、誰にでも、わかる。



 トーンとソピアプの歩んだ人生を、かいつまんで記すのは、難しい。
 それは、カンボジアの辿った過酷な歴史と、ぴったりオーバーラップする。

 トーンは、今年、47歳になる。
(はずだ。歳を尋ねると、いつも違う答えが返ってくる。一度、身分証を見せてもらったら、西暦で1965年生まれになっていた。一応、確かなのだろう。)
 10歳の時に、ポル・ポト時代を迎えた。
 家族は、プノンペンからコンポン・トム州の農村に強制移住させられた。※1

 兄が、死んだ。
 トーンも飢えに苦しみ、生死のはざまを彷徨った。
 少年グループに入れられ、一日中、ダムや水路建設などの重労働を強いられた。※2
 お粥、というよりも米粒の入った白湯を、一日に一回食べることができた。
 飢えと過労で、まわりの者が続々と死んでいった。
「なぜ、生きることはこんなに苦しいのだろう? みんなと同じように死んだほうが、よっぽど楽じゃないか?」
 そう、思い続けた。
 その問いは、ずっと彼の心の中に、澱のように残った……。



 1979年、ポル・ポト政権が、ベトナムの後押しを受けたヘンサムリン政権によって倒された。
 トーンは、両親とともに生きてプノンペンに戻ることができた。
 15歳だった。
 両親は、これといった職にありつけなかった。
 明日の食い扶持も定かではない日々だった。
 18歳になって、トーンは、ヘンサムリン政権の政府軍兵士となった。※3

 トーンは、それから10年間、前線を転々とし、ポル・ポト派ゲリラと戦った。
 最後には、激戦地の一つだったコンポンスプー州の山中に送り込まれた。
 そこで、地雷を踏んだ。
 日頃、兵士たちが平然と行き来していた場所だった。
 そこに、たまたま地雷があったという。
 まるで、その日のトーンのために、見えない誰かが仕組んだかのように……。
 トーンは左足を失った。
 28歳だったという。
 1992年のことだ。
「全く、運が悪かった。でも、とりあえず生きているんだから、それでいい。その時は、そう思った。」
 トーンは、言う。
 この年、国連による和平プロセスが始まり、カンボジアは和平に向けて大きく動き出していた。
                                          ※4

 しかし、前線にいたトーンは、そうした和平の動きをよく知らなかったという。
 除隊されて、トーンは、プノンペンのリハビリセンターに通った。
 そこではじめて、和平を知った。
『何のために、自分は前線で地雷を踏まなければならなかったのか?』
 トーンは、この世の理不尽を感じた。
 その怒りを、誰にぶつければいいのかも、わからなかった。
「結局、運が悪かったんだ……」
 そう、自分に言い聞かせるしかなかった。

 そんな鬱々とした日々のなか、トーンは、同じ障害者研修センターで、ソピアプと出会った。

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