「はじめの一歩」山本けんぞう はじめの一歩を踏み出すほかに、ぼくたちに何ができるだろう──

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第1話 樹と穴 1
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 地雷原の一本道に、大きな樹がある。
 そこに、何となく、人が集まる。
 道には、他にもたくさん樹がある。
 なのに、なぜ、その樹の下に、集まるのだろう?
 みんな、そうしているから……。
 昔から、そうだから……。
 そんな答えしか、村の人たちから返ってこない。

 まあ、樹の下に集まるのに、特段の理由は要らないのかもしれない。
 何となく集まって、泣いたり笑ったり怒ったり踊ったりぼんやりしたり……。
 そんな風に数千年、人間は繰り返してきたのだろう。
 きっと、これからも……。



 その樹の下に、ぼくたちもまた、何となく案内された。
 まるで、そこに行くのが当然のことで、他の場所に連れて行くなんて想像もできないかのように、黙って村人は、ぼくたちをその樹の下に連れて行った。
 既に、たくさんの地雷被害者が集まっていた。
 2009年の3月だった。
 ぼくたちは、地雷の撤去と畑作りに取りかかっていた。
 活動の参加者を、募っていた。※1


 カンボジアは、いつでも暑い。
 3月は、特に暑い。
 そのうえ午後の2時半ともなると、炎天下にしばらく立っていたら、頭が焼け石のようになる。
 氷を載っけると、じゅーっと音を立てて溶ける。
(目玉焼きができるかもしれない!)

 見渡せば、世界はあまりに光に溢れ過ぎて、色も影もない。
 蜃気楼のように、ふっつりと消えてしまいそうだ。

 集まった人たちに、ぼくと石井麻木、それにソク・ラスメイが活動の説明をはじめた。
「あ、それならやったことある!」
 と、自ら糸を紡いでみせる、おばあちゃん……。
 フランス植民地時代からずっとコットン栽培をしていたと胸を張る、歯抜けおじいちゃん……。
 上々の盛り上がりだった。

 ふと、遠くから、バイクの音がした。
 見ると、目の眩む光のなかを、砂塵をあげて、一本道の向こうから、バイクがやって来た。
 バイクは、ぼくたちの近くで止まった。
 男女のカップルが降りて来た。
 男のひとは、義足だった。
 女のひとは、松葉杖を突いていた。
 ゆっくりと、こちら側に近づいて来た。
 その光景を、映画の一こまのようにはっきりと、覚えている。
 ふたりが誰だか知らなかったし、特に注意していたわけでもない。
 それでも鮮烈な印象に残っているのは、ふたりの目のせいだった。
 とてつもなく暗い目をしていた。
 もちろん、地雷被害者はみな、それぞれの過酷な現実を生きている。
 だから、暗い目をしているのは、当然だろう。
 しかしそれにしても、ふたりの目は、凄絶なほどに陰鬱だった。

 ふたりは、集まった人たちの輪の後ろに立って、しばらく無表情に、ぼくたちの話を聞いていた。
 そのうち、気がつくと、いなくなっていた。
 ああ、やっぱり関心がないんだな……。
 そう、思った。
 そのときは、それっきりだった。



 説明会は多いに盛り上がったけれども、結局、参加しようと手を挙げる者は、誰もいなかった。
 期待していた歯抜けおじいちゃんも、その時は「やるやる!」と威勢が良かったけれど、ふらりとどこかに行ってしまい、それっきり音信不通になってしまった。
 そんなものだろう……。
 いくら筋の通った良さそうな計画でも、実際に見える形で結果を提示できない限り、誰も真剣に関わろうとはしない。
 特に、多くの地雷被害者のように、日ごとの糧を得られるかどうかも定かではない貧困層は、その日一日の労働を、雲をつかむような話に費やすわけにはいかないのだ。
 実際、日本人を含めた各国の人たちの自己満足とも言えるようなタイプの援助活動を、カンボジアでたくさん見て来た。
(「可哀想なカンボジア人のために」という常套句とともに……。)
 そんな活動には、にこやかに接して、ほどほどに付き合って楽しんで、貰うものだけ貰ったら去る…… それが、厳しい現実のなかでカンボジアの人たちが培った生活の知恵だと言える。
 自分の活動はそんな気まぐれな自己満足ではないと、いくら言ったところで、結果が出なければ、仕方がない。
 自戒を込めて、そう思う。

 こりゃ駄目だな……。
 とりあえず、いったんプノンペンに戻るしかないと思って、荷造りをはじめた。
 出発の間際になって、連絡が入った。
 活動に参加したいという人がいるという。
 急遽、ぼくたちは、その人のもとに赴いた。
 
 地雷原のでこぼこの道を、車で進んだ。
 小高い山の麓に、一軒の小屋があった。
 傾きかけた、藁葺きの小屋だった。
 車を止めて、降りた。
 鶏たちが、一斉に騒ぎ始めた。
 松葉杖が二つ、縁側に立てかけてあった。
 顔を出したのは、意外にも、あの時に暗い表情のまま姿を消したふたりだった。
 ぼくたちを出迎えるために、精一杯の笑顔を見せていた。
 夫は、トーンという名だった。
 妻は、ソピアプ。
 ぼくたちとともに、はじめの一歩を踏み出した夫婦との、最初の出会いだった。



 トーンは地雷を踏んで、左足を失った。
 ソピアプは、右足を失った。
 夫婦は、一足のサンダルを分け合って、履いていた。

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